正しい餌付け

中編






何だか良くわからない男だ。
とにかく今後は避けることにしよう。
しかしそうは思っても世の中は上手くいかないもので。
イルカを引っ掛けるろくでもない相手とカカシの行動領域はリンクしているので行き会ってしまうのは必然なのだった。
つまりはカカシもわりとろくでもない人間に分類されるという事なのだが。
とにかく!もうイルカには構うまい。
今夜こそ柔らかい女の肌を存分に味わいたいのだ。
カカシはくるりと踵を返してその場を離れようとしたのだが、
「約束が違います!」
というイルカの良く通る声が聞こえてきて思わずカカシは足を止めてしまった。
「飯が先です!!」
よせばいいのに、カカシはイルカの声がする方を振り返ってしまった。
すると人目もはばからず安い連れ込み宿の前でイルカは声を張り上げている。
相手の男はイルカの主張は聞く耳持たずといった様子で腕を乱暴に引き宿にイルカを引き込もうとしている。
対してイルカは男を逆に宿の外に引きずり出そうと、更にその先の飲食店街に向けて引き摺っていこうと両足を踏ん張っている。
階級は違えども体格が似たりよったりの男同士の力勝負なのでなかなか勝敗が決まらない。
店の入り口で騒がれて宿の主人も迷惑極まりないだろう。
二人の男を囲む人込みの輪に紛れて、カカシは思いっきり他人事で成り行きを傍観していた。
しばらく時間が過ぎたが、なかなか事態は進展しない。
他人の痴話喧嘩など数分で飽きる。ガタイの良い男同士の笑える痴話喧嘩でもそう何分も見ていられるものではない。
さてそろそろ自分の用事を足しに行くかとその場を離れようとした時、カカシはギクリと身体を強張らせた。
「カカシ先生!」
と、イルカが滑舌良く自分の名前を呼んだからだ。
「この人に何とか言ってください!!」
ええ?!俺!!
内心はひどく動揺していたが、カカシは名前を呼ばれて悠然と二人に向き直った。
イルカは案外目ざとかったらしい。完璧に人込みに紛れていたと思ったのに見つかってしまった。
全く知らない仲ではないし、カカシとしてもこうなると無視をするわけにはいかない。
おかしな状況に否応無しにカカシは巻き込まれてしまった。
「あのー・・・」
悠然と振り返った割にはどう口を挟むべきか判断しかねているカカシは歯切れが悪い。
「カカシ先生!」
イルカは励ますようにカカシの名を叫ぶ。
何故、イルカを援護する立場に自分が回っているのかさっぱりわからない。
わからないながらものっぴきならない状況に置かれたカカシはとりあえず頑張ってみた。
「えーと、イルカ先生は飯さえ食わせてもらえば言う事聞くらしいよ?・・・・こんな事で良いんですか」
前半はイルカの腕を掴む男に、後半はイルカに向けてカカシは言った。
大きく頷くイルカと忌々しげに地面に唾棄する男を前に、カカシはその後するべき事もなくぼんやり二人の間に立ち尽くしていた。
「その辺で突っ込まれてえのか!めんどくせえ事言ってねえでさっさとやらせろよ!」
男の言い分ももっともで。
拒否権はあるが戦場を離れても下位の者に伽を命じるもの、それを黙って受け入れる者も確かにいる。
酷い話が強姦された所で上位の者を訴えることも出来ずに泣き寝入りする下忍、中忍の話は珍しくない。
その事を考えるとイルカのために部屋を用意しようとしたこの男はまあまともな部類に入るのかもしれない。
こうなると「まとも」という定義自体が怪しくなってくるのだが。
「食事が無いなら伽はお断りします!」
思考が彷徨い出したカカシはイルカの声に現実に引き戻される。
イルカの考えは非常に一貫している。
ギブ&テイク。
与えてくれるならこちらも返す。という事だ。
何故食事に対してそこまで執着を見せるのかはわからないが。
「あのねえ、悪い事は言わないから黙ってこの人に飯食わせてやってよ」
そして早くこの茶番から自分を解放して欲しい。
八の字に下がりきった眉毛のまま、多分情けない顔でカカシは男に懇願する。
イルカはイルカで無言のまま男をじっとりとした黒目で見つめている。
「マジ、めんどくせ・・・・」
カカシとイルカから熱く見つめられ、男はあっけなくイルカの手を離した。
そしてそのまま人込みを掻き分けて男は歓楽街の奥に消えていく。
そうだよな、とカカシは男の行動を納得する。
イルカに結構な金額の食事を奢ってコトをいたすよりも、初めから食事に使う金を女に当てた方が効率が良い。
自分なら迷わずに花街で女を買う。
何故そこまで手間暇かけて目の前のもっさりとした男を抱かなければならないのか。
今の男も我に返ったに違いない。
こう頻繁にイルカが上忍に引っ掛かるのは、単純に任務の帰りに里中で一番に出会う人間が受付所に居るイルカだからだろう。
ふとイルカに視線を戻すと、男が消えた方向を見ながら呆然としている。
やばい、とカカシが思った時はもう遅かった。
その場を離れようとしたカカシのベストをイルカはしっかりと握りしめた。
男が姿を消した方角から、壊れた人形のようにギギギとイルカはカカシの方に首をめぐらせる。
「俺の・・・晩飯が・・・・」
この構図は。
歓楽街の大通りに面した連れ込み宿の入り口で写輪眼のカカシと、品行方性と称されるアカデミー教師が佇んでいる。
こんな面白いゴシップはそうそう無いだろう。
自失したイルカを、この前とは逆に今夜はカカシが急ぎ飲食店街へと引き摺っていった。


「はいはい。好きなだけ食べたら良いですよ」
カカシはディナーバイキングをやっている中華料理屋にイルカを連れてきた。
ここは安くて種類も豊富。ボリュームもかなりあるので部下達にたかられると大抵はここに来る。
大皿に山盛りに盛られた料理の数々を前にイルカの瞳は爛々と輝いている。
味は何とか合格ライン、といった所なのだがイルカにはこれで充分らしい。
また物凄い勢いでバクバクと料理を片付けていくイルカを前に、カカシはろくに食事もせずちびちびと酒を舐めていた。
「なんでそんなに、イルカ先生はさー。食い意地はってんの?」
歯に衣を着せる心の大きさは、今夜のカカシは持ち合わせていなかった。
今夜はどう考えてもカカシに落ち度はないというのにイルカに飯を奢ってやっているのだ。
これ位の物言いは許してほしい所だ。
ハムスターの頬袋のようだったイルカの頬の膨らみが萎み、茶を飲み下すとやっと落ち着いたのか。
イルカは食べる事以外にこの店に入ってから初めて口を動かした。
「俺ね、ガキの頃に餓死しそうになったんですよ」
それは・・・壮絶な体験だ。
餓死、とカカシは鸚鵡返しにイルカの言葉を繰り返す。
咄嗟になんと返せば良いのやら分からなかったからだ。
「しかも、任務中とかじゃなくて里中での話ですから・・・・。俺、下忍になりたての頃財布を落としたんですよ」
アカデミーを卒業してやっと忍として独り立ちをした頃。
今までの里からの援助は全てなくなり、今後は自分が稼ぐ収入でやりくりしていかなくてはならない。
そんな矢先に、子供ならではの迂闊さでイルカは財布を落としてしまったのだ。
前回の任務の報酬を受け取るまでには一週間ほどある。
イルカは慌ててアパートに戻り食料を確認したが、頼みの綱の米は明日買う予定だったと愕然とする。
二、三日は少し残っていた乾麺やら野菜で飢えをしのいだ。
それ以降はひたすら水分を取った。
そもそも人間は水分だけで一週間生き延びられるのだから、後数日で給料を受け取る事ができるイルカはこの危機を乗り越えられるはずだった。
だが、給料の支払いがなんと祝日を挟んだ翌週に延びてしまったのだ。
しかも、その祝日の四連休が終わった後、通常の休日が続く。
里の金融機関はずっと機能を停止したままだ。
さすがに水だけで一週間以上を持ち堪えられるのか不安になった。
任務が無い事を幸いにイルカはアパートに篭り極力体力を温存してじっとしていた。
しかしそれにも限界がある。
水を飲みに行く体力すら失われて意識も途切れがちになっていく。
「もう駄目だと思ったんですが、そこを大福を手土産にたまたま部屋に来てくださった三代目に助けられたんです。だから俺は甘いものにも目が無いんです。あの時の大福は、美味かった・・・・・」
「はあ・・・」
散々飲み食いしただろうに、その大福に思いを馳せたのかイルカはうっとりと宙に視線を彷徨わせた。
「あの頃の俺は変なプライドが邪魔して隣近所や友人、知人に飯を食わせてもらおうなんて考えられなかったんです。後悔した時は体が全く動かないくらいに衰弱していて。餓死の恐怖、というものは二度と味わいたくないです・・・」
じわりじわりと忍び寄る死よりも、潔く突然降りかかる、例えば敵忍から与えられる死の方がよっぽど気が楽ですね。などと。
物騒な話題をイルカはにこにこと微笑みながら話す。
「おかげでそれ以来、ただ飯には過剰に反応するようになってしまいましたよ。飯を食わせてくれるのならなんでもする!と反射的に思ってしまうんですよね〜」
「それで、飯を食わせてもらったら身体で返すわけ?」
「それが・・・。俺はそれなりに覚悟しているんですが、お相手の方は食事が終わるとすぐ帰ってしまうんです」
そりゃあそうだろう。
あんな物凄い形相で飯を食う男をこれから組み敷こうなどと、普通は誰も考えない。
「だから結局は割り勘にしてそこでさよならなんです」
「はああ・・・」
ギブ&テイクが成り立たない相手からは施しを受けない、というわけだ。
飢餓体験がトラウマになり、こんな食に卑しい男になってしまったのか。
子供達の前では隠しているらしいが。
「何で子供達の前では大食いを隠してんの?」
「だって、大食いだなんて。意志が弱そうで恥かしいじゃないですか」
「ふうん・・・・」
別に大食いなのは構わないだろうが、その見返りに身体を同性の忍に差し出そうとする事こそ子供達の前では隠した方がいいだろう。
どうもイルカの羞恥心のポイントは人とずれているようだ。
だからこそさっきも連れ込み宿の入り口で大立ち回りを平気で演じていたのだろう。
これまでのイルカの行動の謎がやっとわかったような気がする。
まあ、カカシにとっては非常にどうでも良い話だ。
そろそろ会計でも済ませようかとカカシは立ち上がりかけたが、そのカカシの腕をぐいとイルカは引き寄せた。
「それでは、カカシ先生。身体で・・・お返ししますから」
席を立ちながら口に含んだ酒が思い切り気管に入り、カカシは激しく咳き込んだ。
「大丈夫ですかっ?」
イルカは慌ててカカシの隣に駆け寄り、ゲホゲホと咳き込むカカシの背中を撫でる。
「今夜は割り勘にしましょう!」
言いながらカカシはイルカの腕を払いのけたが、その途端にイルカはしゅんと項垂れた。
ぞわりと、再び嫌な予感にカカシの肌が粟立った。
「・・・・すいません。今夜はあいにく持ち合わせが・・・・」
カカシの目の前が一瞬暗くなる。
「・・・か・・・・。構いませんから。今夜は勝手に俺がイルカ先生に飯を奢っただけの話です」
「そういう訳にはいきません!!」
その大音声にカカシの感度の良い耳がキンと鳴る。
まったくもって。イルカは非常に面倒臭い。
独特のポリシーを持っていて、それを曲げる事は決してしない。
カカシが堪らずに天井を振り仰ぐと料理店の安っぽい白熱灯がちりちりとカカシの目を焼いた。




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